3.11に

震災から10年の今日、午前授業で14時46分には全員が揃わないため、朝のHRで黙祷をしました。現在の高校2年生は小学校1年生、幼少期であっても大きな揺れを忘れてはいないようです。

あの日も午前中授業で、校内に生徒は多くなかったけれど、対応に戸惑ったことを思い出します。揺れがおさまってしばらくたつと津波の情報が入り、さらに時間がたつと、今度は原子力発電所の事故の情報が…。

頭に浮かんだのは楢葉町出身の二人の卒業生。当時ともに東海大学の2年生で、神奈川県にいる二人はともかく、実家が心配でした。結局二人の家族は故郷を離れることになったと聞きました。そのうちの一人、赤間君が楢葉町に戻ったとの新聞記事を目にしたのは数日前。

昨年秋に、オリックス→DeNAと続いた赤間君のプロとしてのキャリアが終わることは知らされていました。二つの球団のどちらかに、職員として残ることがあり得ると聞いていました。しかし、彼が選んだのは故郷に戻ること。この記事を読みながら、赤間君やあの頃の野球部のメンバーのことを思い出しました。赤間君と中学の前からバッテリーを組んでいて一緒に本校に来た草野君も、大学を出て今はいわき市で働いています。結局二人とも福島県に戻ったことになります。卒業して12年、二人は折に触れ学校に顔を見せてくれます。

卒業式で必ず伝えるのは「私立高校のいいところは、卒業して何年たっても先生たちがいること」という言葉。「何か困ったら母校に帰っておいで」と生徒達にも、保護者の皆さんにも、言い続けています。私は公立高校の卒業生ですが、大学4年生の6月、教育実習で母校に行った時にはすでに半数の先生方は転勤された後でした。10年も経てばもう、一人も恩師が残っていないのが公立高校です。「10年後、私はいません。でも、先生方は10年たってもいっぱいいるからね!」こう言えるのは、私立高校だからこそ。

去年はコロナのために来校者を制限していて、卒業生といえども校内に立入ってもらうことが難しく、その点でも異常な年でした。普通の年だと、ゴールデンウィーク付近に進学したての直近の卒業生達が続々と現れ、こんなに卒業生が来るのか?!というのが本校です。年間を通して卒業生が顔を出してくれる統計があれば、トップ校だと自負していた頃に早く戻りたいものです。そのためには、感染症の収束を待つしかありません。